「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」
この映画を鑑賞するべく、全13話のTVアニメシリーズを視聴してから今回の映画鑑賞に臨んだ。
TVアニメシリーズとは違いとてもストーリーが重たい内容で主人公の咲田が自身の弱さを知り、さまざまな決断を迫られる作品。
下記:本編のネタバレを含みます。
梓川咲太の最初の決断
咲太に突きつけられた決断は、自分が死んで牧之原翔子を助けるか、自分は助かって翔子の死を受け入れるかの2択だった。咲太は自分の命と他者の命を天秤にかけることを迫られている。
咲太は、翔子を救って自分が死ぬことを決断した。それは咲太が誰かを犠牲にして自分だけ生きることに耐えられないのが理由だった。しかし、たくさん悩み葛藤をしていても咲太の腹は最初から決まっていた様にも思えた。
咲太にはずっと翔子に返したいものがあった。二年前に彼女に救われ、つい先日も救われた。人生が何のためにあるのかも教えてもらったのに、彼女の死を選択することは自分自身を否定することになるだろう。咲太が生きる意味は彼女に教わったものだ。だから彼女を犠牲にして生きるなど、考えられなかったのだろう。
しかし、咲太には生きていて欲しいと強くながってくれる人が居る。
今回正面からこのストーリーを感じ取ると翔子を助けたい咲太と、咲太を助けたい未来の翔子の心理状況への共感が強く感じ取れる作品だと思う。
なら、“彼女“である桜島麻依はどうなるのだろうか……。
咲太が死ぬという事は、麻衣にとって最愛の人を失った状態で生きていく事を意味する。
さらに、麻衣は咲太が死ぬことが分かっていた。それゆえ、喪失感だけではなく、罪悪感や後悔の念も麻衣は背負うことになる。咲太はそのことに気付いていなかっただろう。気付くチャンスは山ほどあったが麻衣は残される側なので、咲太が見落としていた、この側面を必死にわかってもらおうと遠くへ行き咲太が死んでしまう12月24日が終わるまで側にいて欲しいと必死にお願いした。しかし、咲太はこの側面に気付かない様にしていたのだと思う。
咲太を救えなかったという罪の意識を背負いながら、咲太のいない日常を生きる麻衣のことを、咲太は考えていない。
一方で、麻衣は「私が2人分背負う」と罪を背負う覚悟を見せている。咲太の決断は、自己犠牲のように見えるが、残されたものへの配慮がないのも事実だ。
咲太が「残されたもの」という観点を見落としていたツケは、麻衣が咲太を守ることで麻衣が代わりに死に、咲太と翔子が生き残ることだった。
結果として咲太が取り残される側になったとき、咲太の決断は変わった。咲太は麻衣のいない生活に耐えられなかった。灰色に塗りつぶされた生活を何十年も続けていく絶望を咲太は身をもって知ってしまった。
加えて、残されたものが背負う罪の意識に耐えられなかった。咲太は、麻衣の親から「麻衣を返して」と言われ、麻衣の告別式には全国からファンが駆けつけるのを目の当たりにした。自分が生きていることそのものが麻衣を死なせた罪の上になり立っているという事実に耐えられなかったのだ。
こうして咲太は決断を変える。時間を巻き戻して、翔子を助けるのを諦め、自分が生き、麻衣とともに生きることに決めるのだ。咲太が最初から向き合えなかった現実、つまり翔子を選ぶことは麻衣を捨てるのだということを身を以て実感し、決断は変わったのである。
そして、咲太は再度決断した。
今度は、麻衣との未来を選ぶことを決めた。それは麻衣と2人で罪の意識を引き受けながら生きることである。
咲太にとって、翔子を見捨てて麻衣と生きることを本当は望んでいたが、それは自分に生きる意味を教えてくれた彼女を見捨てたという「弱さ」をそのまま反映するので、その選択肢は認めたくない事実でもある。
自分の「弱さ」は、自分にとって一番向き合いたくない選択肢をそもそもなかったことにしてしまう。その結果、本当は向き合わなくてはいけないと思いながらも渋々下した決断は、重く深い後悔に変わるのだ。
弱さを信じることさえできれば、決断はやりなおせる。もし人生が決断の連続なのだとしたら、自分の「弱さ」をかかえながら生きることが、自分が心に望む決断を積み重ね、豊かな人生につながるのかもしれない。
少なくとも、物語では、咲太は自分の弱さに向き合うことで、決断をしなおすことができた。
涙腺崩壊待ったなし……。